平日は新しい職場で新しい役割。土日は農作業。正直、毎日ヘトヘトです。
そんな疲れた休日に、Netflixでガンダムの劇場版三部作をぶっ通しで見てしまいました。ガンダムI・II・III、全部です。
昔から好きで何度も見てきたはずなのに、50を過ぎた今見返すと、まるで違う映画に見えました。
子どものころは気づかなかった「寂しさ」
正直に言うと、子どものころはガンダムを「カッコいいロボットが戦うアニメ」として見ていました。白いモビルスーツ、ビームサーベル、シャアの赤いザク。それで十分だった。
でも今回、改めて見て最初に感じたのは——これ、すごく寂しいアニメだということです。
アムロは故郷のサイド7を失い、父親とはすれ違ったまま終わり、出会う人出会う人が死んでいく。マチルダさん、ランバ・ラル、リュウ、スレッガー……。戦争だから当然といえば当然なのに、一人一人の死がいちいち刺さるんです。
親も、兄弟も、親友も敵になる
今回いちばん心に残ったのが、人と人の関係が戦争によって壊されていく場面の数々でした。
シャアとセイラは兄妹です。それでも戦場では敵同士として銃を向け合う。カイとハモンの関係も、ランバ・ラルとの戦いも、どこか「戦わなければよかったのに」という気持ちにさせられます。
リアルで考えたら、ありえないことです。家族が敵になって、殺し合う。戦争ってそういうことなんだ、と子どものころよりずっとリアルに感じました。
農作業で土に触れて、生き物を育てて、自分の手で何かを作っている日々を送っているからかもしれません。「壊すこと」の理不尽さが、以前より身に沁みます。
ニュータイプという「希望」と「絶望」
ガンダムにはニュータイプという概念が出てきます。人類が宇宙に出ることで研ぎ澄まされた新しい感性——本来は「人と人が分かり合える存在」のはずです。
なのにアムロもシャアも、その力を戦争に使い続ける。ララァは死に、アムロはその後も戦い続ける。分かり合える力を持ちながら、分かり合えないまま戦うという皮肉が、今の自分にはものすごく重く感じられました。
おわりに
Netflixで気軽に見始めたつもりが、気づいたら深夜まで見入っていました。
ガンダムは「戦争はいけない」というメッセージを、熱血ロボットアニメの皮をかぶって届けてくれる作品だと、改めて思います。子どものころに感じたワクワクと、大人になって感じる重さ——その両方を同時に味わえる作品って、そうそうないと思います。
疲れた休日に見るには、少しヘビーだったかもしれません。でも、見てよかった。
こうなったら、マクロス、ボトムズも見返したい!